2008-04-28(Mon)
旅の守りの女の子

20代丸々お世話になったパスポートをようやっとこ、更新した。
お役御免になった旧パスポートの表紙に貼られた1枚のシール。
もう、色もはげかけていて、角も折れかけているけど。
2001年3月22日から4月22日の1ヶ月間、私はベトナムにいた。
その前遡ること1ヶ月半前、タイに入国した。
とくにルートを決めるでもなく。
とりあえず、一ヶ月間の海外保険だけ入って、とりあえず行った。
とりあえず行ったから、何もほんとに決まってなかった。
途方に暮れるでもなく、ただ、タイで暮らしていた。
そんな私をみて、現地で友達になったある人が
「ラウンドしてくれば?」
とアドバイスをしてくれた。
そこからプチ東南アジア1周の旅が始まったのだった。
もうすでにタイに着いて3週間が過ぎようとしていた。
動き出そうとした時に出会った、コリアン・マレーシアンで、ケープタウン出身のアレンとのカンボジア横断の旅が動き出したのだった。
英語圏の彼との移動だったので、彼と一緒にいた1ヶ月はほぼ日本語を喋らない日々。
文化的な価値観の違いやなんか色んなことがあって、しょっちゅう喧嘩もして。
そこに行った人達はみんな経験してるけど、あの超悪路をピックアップトラックで何時間もかけて移動して。
幼い頃から私の中の『ピースフル』の象徴で、
いつか必ず行く!
と心に決めていた、アンコール・ワットでの時空を超えた経験もし。

プノンペンでそんなアレンとルートを別れ、初めてひとりで超えた陸路のベトナムのイミグレで係員のおっさんに賄賂を要求され喧嘩して。一緒のピックアップで到着してたイスライリーとフレンチのバックパッカーと共に、本気であきれて大げんかして。
彼らととりあえずシェアしてシクロに乗ってホーチミンまで来たものの。
彼らからも「部屋、シェアするかい?」と、誘ってもらったものの。
疲れた。もう、英語もしばらくいいや。しばらくひとりで過ごしたい。
と、ホーチミンの、もう今はないけど、実は伝説化してしまってるらしい『一期一会』というゲストハウスに飛び込んだ。
定価が存在しないベトナムは一歩、宿から出ると何をするにも全て値段交渉から始まるし、もう、全てに疲れていたその時の私はね、普段の旅ならありえないけど、疲れを癒しに大好きなコーヒーを飲みに行こうと、
ローカルカフェではなくって、値段が決まっている旅行者向けのカフェに日参してたんだ。
そのカフェは、ま、有名なところで。
交差点のど真ん前にあるオープンカフェなので、現地の姿を眺めながらゆっくり過ごしてたの。
すると、私の前にひとりのとってもかわいいベトナム人の女の子がきて、手を合わせながら、ソーサーに残っていた砂糖を指差してん。
ああ、欲しいねんな。
すぐそれをその子に渡した。すると満面の笑顔で手にした砂糖を持っていたお水に溶かして飲み始めたん。
あっそっか。砂糖水か!
それから私は宿に戻って、全く覚える気すらなかったベトナム語での自己紹介だけ頭に入れて、翌日また、カフェに行った。
女の子がまたいたので私はまた、砂糖をあげて名前を聞いたら
彼女は「ニャン」と言った。そこからは毎日ニャンに会う為にカフェへ行く。そんな日々が始まった。お店の人とも顔なじみになっていたので私が行くとみんな、ニャンを呼んでくれた。
今日で最後やねん。今夜、ホーチミン立つねん。
ベトナム語が喋れない私は、お店の人に英語で話したらお店の人がニャンにベトナム語で伝えてくれた。
するとね、ニャンがくれてん。
これがその冒頭の女の子のシール。
「よしみ〜。」って、くれてん。
嬉しかったなぁ。
もう、絶対になくさへんところに貼ろう!って思って、貼った。パスポートに。
ほんまは貼ったらあかんねんけどな、でも貼った。
それから約7年かぁ。
ニャンからもらったこのシールを見る度に、危ない橋を渡ったりもした私の移動も、この女の子に救われ続けてたんだよねー。
ニャンありがとう☆
次に新しいパスポートで旅立つときはいつになるかわからへんけど、その時は。
また旧パスをお守りにでかけよう。
ニャンとはいつも一緒☆














